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世界三大征服者って誰?世界史上最も広い領域を支配したのは一体!?

「世界三大征服者」はアレクサンドロス大王、チンギスハン、ナポレオンの3人です。あまり聞き馴染みのない言葉かもしれませんが、世界史上3人の支配者たちを指す言葉です。

男たちの厨二心をくすぐる「征服者」という言葉ですが、今から紹介する三人はその「スピード」「防御力」「攻撃力」全ての要素を兼ねそろえた強力な軍隊を指揮し、遠征を重ねて領土を広げていきました。

今回はその三人の生き様を知ることで、この現世を生きていく中で何か役に立てばと思っています。それでは行ってみましょう!

アレクサンドロス大王  〈マケドニア王国〉

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1人目は紀元前4世紀に活躍したアレクサンドロス大王(BC356~323年)です。彼はマケドニア国王であった、父のフィリッポス2世が暗殺された後、20歳の若さでマケドニア王国を受け継ぎます。

当時のボスポラス海峡(現在のトルコ・イスタンブール)から東を支配し広大な領域の王朝であったアケメネス朝ペルシアをを破り、ギリシア・エジプト・オリエント一帯を手中に収めました。

イッソスの戦いとその後

アケメネス朝ペルシアとの闘いは、「イッソスの戦い」と呼ばれており、ペルシア軍10万に対し、マケドニア軍は4万しかいませんでしたが、知略と戦術を駆使し、「重装歩兵で敵の主力を足止めし、自身は騎馬隊を率いて大きく迂回し敵の心臓部をつく」という機動性用いた作戦でペルシア軍を破りました。

その後、インド付近のインダス川まで至ったところで軍隊の疲労はピークに達し、アレクサンドロスは彼らの側近に説得されて東方遠征はストップしました。その帰路でアレクサンドロスはなんと32歳の若さで死去してしまいます。

死因は解明されていませんが、マラリアなどの病気か毒による暗殺と言われています。彼は生前に跡継ぎを決めていなかったため、後継者争いが始まってしまうのでした。アレクサンドロス帝国は瞬く間に解体し、ティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトという3ヶ国に分裂してしまうのでした。

アレクサンドロス帝国の最大領域 By http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/map/alexander_move.htm

アレクサンドロスが世界に与えた影響

彼は自分の帝国内に70以上の都市を築いてエジプト人やマケドニア人を住まわせました。これによってアジア・アフリカ・ヨーロッパの文化交流が盛んになりました。

その文化を「ヘレニズム文化」といいアレクサンドロスが亡くなった後の世界にも、東西の交流という大きな影響を与えました。「ミロのヴィーナス」はこのヘレニズム時代の作品になります。

ちなみに現在もヨーロッパに「北マケドニア」という国があります。これはまさしくアレクサンドロスの故郷マケドニア王国の北部が国として現在も残っているということなのですが、その国土は上の地図と比べると寂しいもので、アレクサンドロスがどれだけの地域を支配していったかがわかります。

アレクサンドロス大王に関する漫画がある

実はアレクサンドロス大王に関する漫画があります。アレクサンドロス大王の書記官となる男・エウメネスが主人公の物語で、私も読んでいるのですが非常に面白いです。アレクサンドロス大王に興味がなくても面白い作品で、作者は「寄生獣」の岩明均さんです。

エウメネスの生涯を追うストーリーなのですが、この主人公が非常に知性が高く、その治世を活かして困難を切り抜けています。もともとはスキタイ人というギリシアより東に暮らす武闘派民族の子なのですが、色々あってギリシアの地方都市で暮らしています。

そんな子が知性と武力でアレキサンドロス大王の書記官にまで駆け上がっていく様子は、ワクワクかつ続きが気になる話になっています。

ぜひ読んでみて下さい!

チンギス・ハン 〈モンゴル帝国〉

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チンギス・ハン(1162~1227年)は幼名をテムジンといい12世紀に登場した支配者です。モンゴル高原の諸民族を統一し、部族会議(クリルタイ)においてハンの位を認められ、1206年に「チンギス・ハン」となります。

現在のモンゴルのイメージの通り、遊牧民として暮らしていました。遊牧民の兵士を1000人ずつに編成し、通常は家族を伴って遊牧を行い、戦う時は軍事組織になるという遊牧と軍事が一体化した千戸制を活用し、強大な騎馬軍団を率いて領土を拡大しました。

西ははるかカスピ海を超えて黒海に至るまで、ユーラシア大陸を席巻する大帝国を打ち立てました。モンゴル帝国は、歴史上で2番目に広い領土を持っていた帝国で、13世紀にはなんと世界の約22%がモンゴル帝国の領土でした。

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モンゴル帝国の残虐さ

チンギス・ハンは従う国には寛大に対応しましたが、逆らう国には容赦ない虐殺をしたと言われています。

その代表的な話が、トルコ系王朝のホラズム朝の滅亡についてです。ホラズム朝は一時期、イランからウズベキスタンやタジキスタンあたりを支配する大帝国でした。

13世紀になると、東からチンギス・ハンが率いるモンゴル帝国が拡大し、ホラズム朝に隣接するようになります。チンギス・ハンはホラズム朝に通商使節団を派遣しましたが、ホラズム朝はなんと通商使節団を皆殺しにしてしまいました。

450人もの使節団を皆殺しにされて大激怒したチンギス・ハンは、ホラズム遠征をおこない、使節団を殺害した国境の町の太守を捕らえ、両目と両耳に溶かした銀を流し込んで殺してしまいます。

その後、怒りの収まらないチンギス・ハンはホラズムの都サマルカンドを徹底的に破壊し、略奪しました。なんと人口の4分の3が虐殺されたと言われています。

モンゴルと日本の関係

モンゴル帝国は「元寇」として日本に攻めてきたことで知られています。それ以外にも日本の羊肉料理「ジンギスカン」で知られているのではないでしょうか。

ジンギスカンはチンギス・ハンと同じ意味で英語読みになると「ジンギスカン」という発音の方が近いらしいです。

ジンギスカンは「ジンギスカン軍が草原で兜を鍋にして食べた」などともいわれていますが、実はモンゴルにジンギスカン鍋は存在しません。満州に渡った日本人が中国の羊料理を基に考案し、モンゴルをイメージして命名し、北海道で広まった郷土料理なのです。

現在のモンゴルは大相撲の力士が活躍する小さな内陸国でしたが、700年前には世界で一番の帝国だったんですね。ちなみに現在のモンゴルの国土の22倍を面積を13世紀後半には支配していました。

ナポレオン・ボナパルト

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フランスの英雄ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)は最も現代に近い時代を生きていた征服王です。ナポレオンが登場するのは、フランス革命の真っただ中であった18世紀後半です。

ナポレオン登場

18世紀後半、それまで絶対王政であったフランスが平民が起こした革命によって共和制へと移行します。ルイ16世とマリーアントワネットが公開処刑されたことで有名ですね。

ヨーロッパ各国は、絶対王政によって国を統治していましたから、フランス革命が自国にも波及することを恐れ、フランスの共和制を潰そうとします。(対仏大同盟)ただ、共和制フランスの総裁政府は5人の総裁の合議により運営される政府でしたが、独裁の心配はないもののリーダーシップに欠けて権力的に弱いモノでした。

「こんな政府ではヨーロッパ諸国に潰されてしまう!」と危機感を持った民衆の期待を集めた人物こそが、それまでイタリア遠征やエジプト遠征で勝利を重ねていたナポレオンです。ナポレオンは軍事クーデターを起こし、国民投票によって皇帝に就任するのでした。

絶頂期から没落まで

こうして独裁者となったナポレオンは、国民の同意のもと次々と対外戦争を仕掛けます。アウステルリッツの3帝会戦では、ロシア・オーストリア連合軍を破り、プロイセン(ドイツ)をも破ってドイツの領土も属国にし、ヨーロッパ地域のほとんどをフランスの属国や同盟国として支配します。下の地図がナポレオンのフランス帝国最大の領域です。

By http://tabisuru-c.com/travel/mitteleuropa_2015/austria_history/austria6.htm

そして、ライバル・イギリスを攻略する過程で、ロシアへと支配を広げようとし、モスクワ遠征を行います。しかし、ロシア皇帝アレクサンドル1世は非常に巧みでした。

わざと敗北を重ねて退却しながら、ナポレオンを広大なロシアの大地におびき寄せ、冬を待って一気に大反撃を加えると言う、ロシアの「広さと寒さ」を存分に活かした戦略をとりました。罠にかかったナポレオン軍は戦士と凍傷によって61万いた兵士がたったの5000人に減るという大敗北を喫します。

その後もヨーロッパの連合に敗れたナポレオンはエルバ島という地中海の島に流されます。

しかし、ナポレオンはここでは終わりません。ヨーロッパ諸国が戦後の処理で揉めている間にエルバ島を抜け出し、フランスにもどって帝位に返り咲きます。その後、ナポレオン帝国の復活に再度挑戦しましたが、ワーテルローの戦いで敗北し、セントヘレナ島に流されてしまいます。

セントヘレナ島はアフリカ大陸の西に位置する島(下地図)です。ここまで流せばもう帰ってこれないだろうという人々の想いが伝わりますね。。。それほどナポレオンは他国に恐れられた存在だったのです。ナポレオンが起こした一連の戦争は「ナポレオン戦争」と呼ばれていますが、全て合わせて600万人の死者が出たと言われています。

ただし、ナポレオンは現代に与えた影響は大きく、王家や教会ではなく国家主権を基盤にした近代国家を築いたことで、現代の国の運営の基礎にもなっているのです。

まとめ

今回は、世界三大征服者について紹介しました。彼らは虐殺の限りを尽くして自分の帝国を作ってきた負の側面がある一方で、都市や国家という新たな枠組みの形成に貢献したことなど、世界の発展に影響を与えたことで現代の私たちにさえ知られるほどの人物になりました。

ただ、現代ではこのような戦争が二度と起きないことを望むばかりです。

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